僕は当時の職場での転勤の関係で、それまで維持してきたベルリンシステムを2002年に解体しました。
ちょうどリフジウムも軌道により、当時流行り始めた深場ミドリイシに挑戦すべく、メタハラのランプも10,000Kからアストロビームに変更して
浅場水槽から深場水槽へ移行しようとしていたその矢先でした。
それに伴い、サイトの方でも当時公開していた水槽日記*1はネタ終了のため閉鎖し、
今では飼育方法や自作などのコンテンツを残すのみとなりました。
正直、知識やスキルも当時のままで、時計の針も止まっています。
*1. きまま日誌:1998/6~2002/5掲載、以降不定期で2004/7まで継続
水槽日記の閉鎖後は、特に記すスペースが無かったこと、もちろん当時の皆さんには既知の事実だったことから、
それまでの経緯や遍歴については特に触れてきませんでした。
しかし、あれからあまりにも月日が経ちました。
今、当時を知らない方々にとっては、気が付けば1.023worldがあり、
暗黙の見えない実体に、少なからず翻弄されてきたことでしょう(曝)
そう言った懸念から、実は皆さんの期待には到底及ばない、僅か6年半の僕の浅い現役時代について、記しておくことにしました。
古い方には懐かしく、新しい方には当時を知る手がかりになればと思います。
初めて海水魚に手を出したのは、1995年の秋でした。
当時、僕の周りでは熱帯魚(淡水)が流行っており、初めは僕も「熱帯魚でも飼いたいなぁ」と漠然と考えていましたが、
色々ショップを回るうちに、気が付けばイソギンチャクとクマノミの図に魅せられていました。
当時、石川県には専門のショップがほとんど無く、あるのは僅かなホームセンターのペットコーナーくらい。
そんな中、偶然見つけたアクアライフと言う小さな個人ショップで、店長の服部*2さんの人柄に引かれ、何度も足を運ぶようになった。
そうして、当時流行っていたルームメイトと言う小型水槽で、海水飼育を始めることとなったのです。
*2. わざわざ福井から通う、加賀の会社の社長さんで、ほとんど道楽でやってた(汗)
この年までは、60cm規格水槽や60x45x45のアクリルOFなど色々変移を遂げ、ひたすら濾過能力を追求する毎日を送る。 この頃はまだ「生体が飼えないのは濾過が足りないからだ」と思いこんでいたため、 ウェット&ドライや間欠濾過もたくさん自作したが、 実はあとで硝酸工場を量産していただけだったと知って愕然とする(汗)
またこの年には、ナチュラルシステムの存在を知り、
淡い期待を抱いて江ノ島水族館へモナコシステムの偵察*3にも出向いたが、
現実離れした水量に構想を断念(汗)
*3. 今は知らないが、当時は六角柱の巨大水槽で、水量は確か10tだったかな
この年までに飼育したものは、クマノミ・スズメダイ系、ハギ系、ハゼ系、小型ヤッコ系、 その他イソギンチャク、好日・陰日ソフトコーラル、一部のLPSなど。結局たくさん殺してしまった(反省)
尚、当時の情報源は、ショップの店長やたまに会う常連さんくらいで、それ以外は青木氏の出てた関連誌などをたまに拝見してたくらい。
ネットもして無かったし、それ以外に情報源はなかった。
それにしても、当時Salt&Seaで初めて飼育下のミドリイシの画像を見たときは憧れたなぁ。
ちなみに、月刊アクアライフの別冊としてマリンアクアリストが誕生したのは、この年の秋。年4回は待ち遠しかった。
そんな中、まだ強制濾過バリバリの1997年初頭、近所の馴染みのショップに初のミドリイシの入荷*4があり、店長に勧められて無理矢理買わされた。
同年の秋には、当時レイシーから「サンサンキラキラ」のキャッチコピーで発売されたメタハラLUC-70(70W/6500K)も買わされる。ほぼ店長の嫌がらせだ(笑)
*4. 地方だと言うこともあり、しかも茶色い個体
しかし意外と育ち、ライブロックにも早々に活着した。僕も驚いたが、店長からも疑いの目が向けられた。 とは言え、今思えば、ポリプはほとんど出てなかったし、色も悪かったし、いびつな形に育った(汗)。 当時、ネットもしてなくて、情報がなかったこともあり、これが正常かどうかの判断もできなかった。
実際に自然下の造礁サンゴを見るべく、この年初めて沖縄本島にも出向いた。やはりサンゴ礁は素晴らしかった。
その後、初ミドリイシは順調に見えたが、翌年の夏には死なせてしまった。飼育期間は約1年半。
初ミドリイシと少し並行して、1997年の沖縄遠征の折、ちょうど直前の台風の影響か、ビーチには綺麗な枝サンゴの欠片がたくさん落ちていた。
その中で綺麗なものをいくつか拾ったので水槽に入れてみた。
青色の綺麗なのもあったが、実はほとんどが死サンゴだったとあとで知った。
ところで沖縄には青や紫の色素が沈着した綺麗な死サンゴの骨が何故かよく落ちている。アレは一体何の色だろう?
光合成色素の名残だろうか。。。
一方で、唯一あとからポリプが出てきた緑色のサンゴがあった。それがエダコモンサンゴの沖縄くん。
翌年の1998年、ホームページを開始。情報の鮮度、情報交換のありがたさをつくづく思い知る。 初ミドリイシの死因についても多くの先輩から情報を得た。 この時初めてリンやKHの存在を意識した。 正直、この当時でもミドリイシを上手に飼えてる方がいらして、世の中の広さに改めて驚いた(笑)
一方で、お気づきの方も多いと思うが、沖縄で拾ったサンゴについては、あとからネットで叱られた(汗)。 この時、造礁サンゴの扱いだけではなく、遊魚のマナーやモラルについても多くの勉強をさせて貰った。 このことは最近の方は知らないだろうし、僕のミドリイシ遍歴では避けられない話題なので敢えて暴露しておく。もちろん、もうそんな事はしてない。 皆さんも軽はずみな行為にはくれぐれも注意して欲しい。
初ミドリイシは途中で白化させてしまったが、その後のエダコモンサンゴはめまぐるしい成長を魅せた。
特に1998年にベルリンに切り替え、タケダ(現エムズワン)のMT-150やスーパークール等のメタハラを追加してからは、成長の勢いは加速するばかり。
そのうちライブロックをみるみる覆い尽くし始め、困り果てた結果、初心者にも飼いやすい入門ミドリイシ♪と言うフレーズを掲げ、
カウンタプレゼントを装いバラまくことにした(笑)
ちなみに沖縄くんの種名が判明したのは1998年の秋頃。それまでは流通も少なく、ネットにも情報は皆無だった。
1999年~2002年の水槽閉鎖までの期間、延べ50名以上のアクアリストにこのエダコモンを配らせていただいた。 時には沖縄にも発送した(笑)。多いときは毎週何箱も出荷した。 これだけの数の梱包と発送を繰り返すうち、ミドリイシの輸送についてのノウハウも蓄積した。 この事からも、これを実現可能にした沖縄くんの成長速度がご想像頂けるだろう。
実際、皆さんからも綺麗で飼いやすいと評判だった。これが初めてのサンゴと言う方も居た。それでも成長が楽しめた。 そうして、エダコモンの成長は各所でも猛威を振るい、困ったアクアリストがさらなる派生群を広めていく。 きっと今頃、日本全国でエライ事になってるかも(笑)。 どこかでスーパーグリーンのエダコモンを見かけたら、どうか「沖縄くんですか?」と尋ねてみて欲しい(笑)
ちなみに、この頃にはエダコモンサンゴも多少なりと流通し始め、僕も茶色やオレンジ、ピンクなど飼育する機会があったが、
比較的成長が早いと言われるこれらのエダコモンでも、沖縄くんに成長速度で勝るものには巡り会わなかった。
沖縄くんは、どん欲に光を求め、水質にも不満を漏らさず、そしてまさにウィルスの如くライブロックに感染していく、
本当にミドリイシ入門にピッタリな枝サンゴだった。
僕自身、過去に遭遇した水槽崩壊でも、必ず生き残るサンゴとして不動の地位を築いた(笑)。
ちなみに水槽の崩壊は過去2回経験したが、いずれもメンテナンス時にクーラーの温度設定が意図せずズレてしまったことによる。
実は病気や感染症などはほとんど未経験(汗)
1995年~1997年頃の強制濾過時代はこんな感じ↓
1995年~1998年頃の強制濾過時代
1998年~1999年頃のベルリン初期はこんな感じ↓
1998年~1999年頃のベルリン期
1999年末から少し規模を拡張したベルリン後期はこんな感じ↓ (参考:1.023worldの水槽システム)
1999年~2002年頃のベルリン期
当時はネットを通して大勢のマリンアクアリストと知り合い、頻繁なサンゴの交換会やオフ会、メールや掲示板でのやりとりにも精を出した。 特にアキリン、スーリン、森川さんらには、初期の頃から何度も助けていただいた。 また、水野さんやメーリングリストに参加されていた方々にも大変お世話になった。 その他にも、現在はネットを退かれた方々、すっかりご無沙汰な方々、尊敬する先輩方は数多いです。
その中でも、一昨年お亡くなりになった東京の松本氏には特にお世話になった。S.K.Doserの生みの親として皆さんも良くご存じだろう。
彼はとても面倒見が良く、僕のような初心者にも本当に親切丁寧に接してくれた、とても尊敬できる恩師のひとりだった。
今の僕のスタイルも、きっと彼の影響を少なからず受けているように思う。
2000年には和田さんに誘われて、松本氏と一緒に和歌山でダイビングのCカードも取った。
この時は日本にベルリンメソッドを持ち込んだ水野さんらも交えて、バーベキューをしたりダイビングをしたり、とても内容の濃いオフ会となった。
尚、現在公開しているカルシウムリアクターの基本設計は、当時松本氏から丁寧に教示を受けたものであり、今となっては彼の遺作となる。
そのこともあり、細かな改良点を除き、ほぼ当時のままの形で残させていただいた。
きっとお世話になったアクアリストも多いことと思う。松本さん、ありがとうございました。
今、ネットの古参方に共通して通じる時代背景としては、やはり2002年の名古屋サミットではないだろうか。
僕が経験したオフ会でもこれが一番の規模だったと思う。あれは一体何人が集まったんだ(笑)。
とても全員とじっくり話す余地などなかったが、それでも日頃からお世話になっていた大勢のアクアリストにお逢いすることが出来て嬉しかった。
しかし、それが皮肉にも僕の現役最後のオフ会となり、その3ヶ月後には水槽を畳んだ。
今までお会いしてきたアクアリストのみなさん、お元気ですか?
いろんな地域、いろんな分野から、地位も年齢も性別もなんにも関係なく集まれるって、改めて凄いなぁの一言です。
しかも、アクアスイッチをオフにしてさえも、本当の意味でのオフが続けられるって、奇跡ですよね♪
またオフしましょう!
Thanks to Akirin, Wada, Yuzo, Tanda, Ryotaro, sakur@, Nao, Incho, Juli, Pooh, Shoichi, Shoyan, Matsumoto, Mizuno, Ryoma, Surin, akemi, qnqn, tama, 0014, Marbee, Jod, Seigo, Dani, Don, Techan, Echigoya, Holesaw21, Poe, Dara, Manatee, Yunoji, Hagiyan, Barayan, Tora, Utoto, Momoyan, Tochan, Toshirin, Shun, sono, Matsui, Drill, Tetsurin, Yukikaze, Wakky, Kashiyan, Rintaro, Martini, Teruo, Kentpapa, Tetsuo, Yoshy, Wamon, Leopon, azu and the dears.
2002年以降、僕は水槽をほぼ諦め、今ではすっかりネタに乏しいサイトにはなったが、
それでも尚、今も多くの方々に盛り上げていただき、本当に感謝感激で涙が止まりますェん。
そして、できればもう一度当時のような熱いシステムをガツンと組みたいところですが、
魚やサンゴは既に皆さんに託された感があるので、機会があるなら次は別の事をしたいと思う。
例えばそれは、藻場水槽のウミヒルモ畑だったり、マングローブの干潟水槽にシオマネキやトビハゼを入れたり。。。
今は休止中ですが、2008年に開発したエアポンプ式干満システムを使って、いつか大きな干潟水槽も実現してみたい。
それまでは、引き続きのんびりとヤドカリでも眺めていようと思います(笑)
2009/09/26